本史関ヶ原26「三成は嘘を重ねる?」

○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦石田三成の策略について、もう一歩さらに踏み込んでみたいと思います。「最も謎めいた手紙」の解読です。

●五五号二番8月4日「差出」長束、石田、増田、前田「宛」松井康之

○細川家の飛び地領、大分県杵築を預かる家老の松井康之。石田を加えた三奉行が「領地を明け渡しなさい」と命じる五五号二番。この手紙には不思議な記述があるわけです。「関東に関しても、伊達、最上、佐竹、岩城、相馬、真田安房守、景勝らが申し合わせて、敵対していますので、すぐにも関東八州の支配はできなくなります」の文章です。原文だと「関東之儀も伊達最上佐竹岩城相馬真田安房守景勝申合、色を立候に付而、則八州無正体事候」です。「色を立てる」とは「旗色を鮮明にする」の慣用句もあるように、敵対することの意味です。「正体なく」は「支配の崩壊」を意味します。列記された名前の中で、岩城と相馬はハッキリした動向がわからないのですが、茨城の佐竹が「上杉景勝の味方」であったことと、長野の真田安房守昌幸が「西軍に付いた」ことは、定説も語るとおりに「知られた話」です。一方で、伊達と最上が「東軍に付いて、上杉と戦った」ことも、定説では「普通に知られた話」です。ところが「伊達も最上も上杉に味方して、徳川と敵対している」と書いてあるわけなんですよね。

○五五号二番には、もう一つ変な話が書いてあります。「上方から行った者たちも、妻子を人質に大坂で押さえてあるため、これまたいろいろと懇願してきています」の文章。原文だと「上方より罷立候衆も、妻子人質於大坂相究候故、是又種々懇望候」です。つまり「会津出陣に行った福島たち豊臣軍団は、われわれ大坂側に泣きついてきているので、徳川に味方するはずないですよ。だから、細川家を助けてくれる者はいませんよ」と言っていることになるわけです。

○「おかしな内容」ですけども、考えてみようじゃないですか。まずは一つめの仮定です。八月二日に大坂衆が、真田信之ら「遠方で在国している者」へ送った決別宣言。このときに東海地方の豊臣軍団の居城へも「別文だけど、同様の内容を送った」としてみます。しかし岐阜城でさえも最短で往復六日なのですから、四日の時点で返事が来ているはずもありません。よって二つめの仮定です。七月二十五日ごろ、岐阜の織田秀信に「意思確認」をしただろう際、「豊臣軍団にも使者を送った」とするならば、時間的には可能となります。もちろん「福島正則たち豊臣軍団は関東に出陣中」なのですから、居城の留守番家老が返事をすることになるわけです。そのときに、たとえば福島家の家老が「ウチの殿様は、徳川家の味方をするに決まってるだろ。豊臣家に従うわけがないんだよ」とかってふうに、いきなり「ケンカを売る」ような返事をすると思いますか?

○ほら。「おかしな内容」のはずが、状況を詰めていきますと、実は「現実的」なんです。ちなみに「二日の決別宣言」では「関東へ行っている者も異議はないだろう」の推測だったのが、四日の五五号二番では「上方から行った者たちも懇願してきています」に変わるのですから、「二日の時点では問合せ中」で「四日には返事が来ている」と言えそうですよね。または「決別宣言を発した二日の前後ごろ、大坂屋敷の留守居衆に問い合わせた」と見るべきかも。ともかく、領国だろうと大坂屋敷だろうと「大坂で人質を押さえられている」うえに「殿様と連絡がついていない」状況にあって、留守居の一存で「豊臣家に宣戦布告する」はずもないってことなんです。

○ただし「伊達と最上」の話は別問題。もしもこれが「伊達や最上、岩城、相馬なども徳川に味方しない」とだけ書いてあるのなら、これらの東北大名も大坂城下に屋敷を持っているのですからね、同様に「留守居衆と話をして、そういう返事を得たのだ」と見ることが可能でしょう。けれども「上杉と申し合わせて、徳川と敵対している」の記述です。「だから徳川は関東の支配もできなくなる」と言うのですから、「徳川と戦う意思があるし、準備もできている」の意味となるわけです。これほどの内容を「大坂の留守居衆が知っている」のであれば、東北大名たちは「会津出陣の準備を始めたころ」から密かに話し合っていて、家康が会津へ出たとき「急に裏切って、敵対する手はずだった」ことになってしまうじゃないですか。しかも結局「この話」は嘘でしかないわけで、伊達も最上も「徳川の味方」が実際です。では、いったい「誰が嘘をついている」のでしょうか?

○「直江と石田が事前に共謀し、連絡をとっていた」のであれば、直江が「伊達も最上も味方にできた」と報せてきたことになり、「大嘘つき」は直江です。反対に「事前の共謀がない」のなら、奉行衆が松井を威嚇するために「伊達も最上も上杉の味方だ」と嘘を書いたことになりますが、署名の「奉行衆」の中に「石田もいる」わけでして、すなわち「石田は嘘つき」です。定着しているイメージとは裏腹に、直江と石田、どちらかは嘘つきだってことになるんです。この手紙を偽書だとして、否定してしまうのは簡単ですが、しかしですね、偽書というのは「いかにも本物っぽく見せるもの」でないと「本物だと思ってもらえない」のですよ。だからこそ、世間に定着した話に沿って「偽造される」んです。「天下取りの物語」では、これから東西間の全面戦争です。「細川幽斎の籠城」にしても、「東軍に付いた者を西軍が攻めている」だけの意味で、各地で勃発する「東西間の衝突」の一つでしかないわけです。それなのに「徳川は東北大名との戦争で何もできないから、大坂は丹後の戦争に全力投入する」なんて話を書く手紙。こんなものを信じる人はいないのだし、現に、無視されてきてい\xA4

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○ところが、現実の合戦を正確に理解すると、話は逆になるんです。「丹後の戦争を全力で終わらせること」が重要なんです。前田利長が出陣してくる前に、徳川軍が支援に出てくる前に、田辺城は落としてしまわないと、やがて全面戦争に拡大してしまうんです。その「理解」の中で、この話。「東北大名たちが揃って上杉を支援するので、上杉は反攻に出る」というのなら、「徳川は前田を支援できない」ことになるのです。そのうえ「関東へ出た豊臣軍団も大坂に従う意思を見せている」のであれば、次に考えるべきは「大坂に従わない前田の処分」となるのです。よって「田辺城の包囲を継続し、前田がどう出るのか、確かめておく必要がある」ことになって、だから「田辺城の仕寄は中止すべきだ」となるはずを、「上杉と連絡する過程で得ていた情報により、可能性を想定していた石田」が、決定情報の届く前に手配して「二ノ丸を落とすこともしていなかった」という先見の明。「さすがは石田三成、見事な采配だ」となるじゃないですか。こう考えれば「一度は落とす決断をした田辺城に、包囲戦が継続されることを、輝元が許していた」の結果と矛盾しないうえ、史料記述とも一致です\xA1

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○七月十五日に「細川の成敗」を言い立てたとき、石田は「上杉も同意した」と嘘をついています。しかし大坂衆は、誰もそれを嘘だと思っていないようです。そこに塗り重ねて「上杉から情報が来た」の嘘をついた模様です。石田が「伏見城を落とさせた」のは、輝元に腹をくくらせて、徳川と完全に切れるため。田辺城を落とさなかったのは、全面戦争に持ち込んで、徳川と戦うため。これで間違いないと思いますね。